死後の世界と成仏の真実
太字=天国おじい
細字=石川大智
お迎えと成仏のプロセス
話したいことがたくさんあるから「何から話したらいいのか」迷うんだよね。
そんなこと気にしないで好きに対話しようじゃないか。直感が促すままに。
じゃあ、個人的に気になっていることから話したいのだけど。
おばあちゃん(天国おばあ:天国おじいの奥さん)がそっちに行ったよね。やはり “死後の振り返り” はあったの? 成仏したの? 例えば、おじいはおばあちゃんをお迎えに行ったの? 前に【死後は誰でも成仏する。苦しむことはない】と言っていたけど、おじいが語る死後の話はかなり大切な本質だから確認したくて。
お迎えもしたし、死後の振り返りもあったよ。”死後の振り返り” は本人だけのプロセスだから、わしは介入しなかったけどね。そして、しっかり成仏している。いわゆる “死後のお裁き” があって「天国か地獄のどちらに行くか?」ということもない。誰でも ”死後の振り返り” が終われば根源魂の世界に戻って安寧の状態でいられる。そして、助けたい誰かを。「助けてくれ」としっかり頼ってきた誰かをヘルプすることを仕事にする。こちらの世界は “愛の世界” だから、愛にもとづいて考え、愛にもとづいて行動する。もちろん、それはエネルギー的なものだが。
「お迎え」の実態と心持ちの影響
じゃあ、おじいとおばあは今も一緒にいるの?
いや、一緒にはいないよ。意識の疎通は自由にできるが、夫婦みたいな関係ではないから、各々は「意識エネルギー」として存在し、様々な意識とつながり、連携・連動している。彼女(おばあ)は彼女で色々忙しいみたいだ。
お迎え」というのは、どうやって成立するの?
当人が息を引き取る際に「誰に会いたいか?」と意識した対象が意識的につながる。つまり、便宜上「お迎え」と言っているが、お迎えがなければ成仏できないわけではない。でも、息を引き取る際に「会いたい」と意識した対象が、当人の意識(イメージ)に現れる。それを「お迎え」と表現しているだけだが、これは人であったり、物だったり、ペットだったり色々だよ。
来世を決める意識の内容
「息を引き取る際の意識の内容」とは、どういう内容が具体的な影響を与えるの?
後悔の気持ち、「誰々に会いたい」という再会の気持ち、「何々をしてみたい」という理想、反省など色々だよ。そういったことが来世の内容に影響を与える。ただし、分かって欲しいことは、これらの内容が「来世に悪影響を与えることはない」ということ。
例えば、この人生で悪いことをしたとしても、それが来世で返ってくるとか、来世で苦しむということはないんだよね。
ない。全部リセットされるから。つまり「息を引き取る際の意識の内容」とは、根源魂の世界に戻ってからの意識テーマ(思考テーマ)になる。それを、すべての魂(意識)が共有する。
そうなると、おじいが語る内容は、一般的に認識されている「死後の話」や「カルマ・因果」などとは違ってくるわけだけど、なぜ人間は誤解してきたの?
人間が死後の世界を誤解してきた理由
一番の原因は、死後のことを生前において(人間として生きている状態において)感情論で考えたからだよ。他には、誤解させておいたほうが、都合が良い連中がいたことも大きい原因だな。
宗教組織ね。たしかに、感情論で考えたら(魂の世界は)なかなか理解できないことも多いしね。でさ、いわゆる『死後の世界を見てきた系』の話や逸話が古今東西にたくさんあって、そこでは『地獄があった』という見解が紹介されていたりする。特にネガティブな見解に触れると「やっぱり死後は色々大変だな…」と思う人もいるし、その類の情報が「真実」だと捉える傾向も高いと思う。この場合はどう説明するわけ?
『死後の世界を見てきた』と言うならば、その世界を見た人間は、死ななかったから語ることができたわけだ。ということは、死後の世界を “生前の価値観” で観たことになる。つまり(誰にでも、何にでも言えることだが)自分が持っている価値観や思い込み、情報は、良くも悪くも強力なバイアス(色眼鏡)となる。これは非常に重要なポイントであり、この “意識バイアス” を「自分に都合が良いようにどう活用できるか?」が、現実化においてキーとなってくる。
それは、思考やイメージなどではなく。つまり「脳内の話」ではなく、気分の問題でもなく、あくまでも「意識」においての話であることが重要なんだよね。
自力では意識の変革は難しい
そうだ。「意識」とすると抽象的に聞こえるなら「潜在意識」と表現しても良いが、自分に都合が良い “意識バイアス” を潜在意識レベルで本当に持つことは(既存のノウハウでは)難しいだろう。なぜなら、当事者が「自分を変える」というのは、外科医が自分で外科手術をするようなものだから。もちろん「無理だよ・出来ないよ」とは言わない。自分に都合が良い “意識バイアス” を潜在意識レベルで持つこと自体は、誰でも可能だからね。
つまり、自力ではなく(この部分については)「他力本願でも良い」ということで、至極簡単に言ってしまえば「宇宙の助けを借りちゃえ」ということだね。
そう。そのほうが楽だ。人間は、イメージや思考や、(もっと言えば)宇宙生命エネルギーの使い方を勘違いしている。ま、色々なことは解説動画で扱ってきたが。
そうだね。こうやって話してくると、なぜ「生き方にまつわる話」をおじいがしてきたか、その価値がよく分かる。つまり「死後の本質論・現実論」は「生きている時の在り方」に直結してくるわけで、在り方や生き方を「逆算で考えてみよう」ということになる。なぜなら、生きている時の在り方や生き方は、息を引き取る際の意識の内容に影響を与えるし、その段階になって「最適な意識内容にしよう」と思っても『慣性の法則は強力だよ』ということになるわけで。
死後の振り返りで気づく後悔
その通り。さっきも言ったが、死後には “人生の振り返り” が起こる。これは、
①自分目線で自分の人生と自分の言動や考えを振り返り、
②自分と関わった相手の目線で同じことを振り返り、そして、
③自分の魂の情報や生まれた目的、やりたかった事や実現できる(実現できたはずの)可能性と照合する。
この段階で色々なことに気づくわけだが、ほぼすべての意識が抱く感想は、『え!自分は生前にこんな可能性を実現できる予定だったの!?』という驚嘆であり、後悔だ。そして「どうしたら、その大きな理想を実現できたのか?」の秘訣や違いもわかり、それが実に単純なことだと知って更に驚く。
それは何なの?
何だと思う?
これまでの教えからすれば、「素直さ」や「愛にもとづく取捨選択」だよね。
その通り。そして、何であれ「決めること」だ。
人間はあれこれ考えるが、決めない。あれこれ悩むが、方向性を決めない。決めればいいのに。結果を出している人間は理想を決めている。決めれば言動も意識も変わる。それで結果が伴ってくる。
あえて言えば、人間としては「そこが難しいよね」と感じるのだけど。生きていれば色々あるからさ。
自力本願と波動情報
だから「他力本願」で行けばいい。大智は「自力本願」と「他力本願」の意味を間違えて「神様が助けてくれる」「宇宙が助けてくれる」「ご先祖が助けてくれる」と理解し、それに注力していたから苦労した。だから「自力本願の意識」を徹底して鍛え直した。
大切なことは、助けやご利益は「何がきっかけで起こるのか?」だ。それは “自分の波動情報の内容と具合” だ。これだけだよ。神様やご先祖や宇宙はツールだから、ツールと向き合っても意味がない。ボールペンに向かって「キレイな字が書けますように」と願えばキレイな字が書けるわけではないのと同じ理屈だ。
もちろん「ツールを大切にしたい」という精神性を持っているならば、「ツールを大切にする」という意識を大事にするのは個人の自由だが、ポイントは違う。なぜなら、ツールへの信念と結果は連動しないから。
よく「原因と結果の法則が大事」と言われ、「原因は自分の思考やイメージだ」と解釈されているが、『結果を出す』という点において大切なエネルギー的原因は2つある。
① “自分という存在”と、
② “自分の波動情報の内容と具合” であり、結果が “現実” だ。
この方程式において「宇宙生命エネルギーというツールも活用してみよう」という “他力” も加味すれば良いわけだが、フォーカスすべきは、2つの原因だ。
そうなると、現実論としてもっと訊きたいことがあって。。。
それは “生身の人間の限界“ を踏まえて「何が大切になってくるのか?」ということで、奥義を逆に考えてみいたいのだけど。
ズバリ、『「理想が叶わない」という現実を決める要素は何なのか?』。

